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【クイズ】弘法にも筆の誤り 間違えた文字は何か

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選択肢

 

 

答え:3 応

解説

「弘法にも筆の誤り」とは、その道に長じた者にも、時には誤りや失敗があるという例えです。

それでは、何を間違えたのでしょうか。

弘法とは

空海(774年生・讃岐〜835年没・高野山)のことであり、諡号(しごう)を弘法大師という。(諡号とは貴人・僧侶などに、その死後、生前の行いを尊んで贈る名)

 

真言宗の創設者。

 

姓は佐伯氏、幼名は真魚(真央)。15歳で上洛、18歳の時に大学寮に入り官吏としての学問を収めたが、仏教に転じる。

 

804年に遣唐使とともに入唐し、青竜寺の恵果阿闍梨のもとで密教の伝授を受け、806年に帰朝しました。

 

816年には高野山を開き金剛峯寺を建立し,823年に東寺を天皇より与えられ、以後高野山と東寺を中心とした宗教活動を行ったほか、様々な社会福祉事業も手がけました。

 

弘法大師は三筆の一人として書家としての名声は極めて高い。

 

835年に高野山にて没しました。

三筆とは

三筆とは嵯峨天皇、空海(弘法大師)、橘逸勢(たちばなのはやなり)の3名の能書家のことです。

嵯峨天皇

786年〜842年(在位809年〜823年)

 

平安初期の天皇。桓武天皇の皇子。

 

「弘仁格式」「新撰姓氏録」を編纂させ、漢詩文に長じ、「文華秀麗集」「凌雲集」を撰進させた。

橘逸勢(たちばなのはやなり)

?〜842年遠江

 

平安時代初期の官人にして書家。入居(いるいえ)の子、奈良麻呂の孫。

 

804年空海、最澄らとともに遣唐使にしたがって入唐。唐人から橘秀才と称賛された。

 

帰国後、840年に但馬権守となる。

 

承和の変に坐して捕らえられ、伊豆に流罪と決まったが護送の途中遠江で病死した。

 

のち850年罪を許された。

 

書道の名人で、隷書を最もよくし、平安京の大内裏の諸門の額の多くは彼の書と言われています。

 

間違えた文字は何か

当時の天皇の命を受けて、京都の諸門の額を書くことになりました。応天門の額を書き、高いところに設置されてから、「」の字にある最初の点を一つ書き忘れてしまったのに気がつきました。

 

そこで弘法はどうしたかというと、書き損じた点の位置めがけて筆を投げつけて点を打ったと言われています。

 

この事から、書の達人であっても文字を間違えることがある。という教訓がことわざとして誕生したのです。

 

この逸話は、今昔物語に記述されています。

 

 

 

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